世の中は不公平は悪なのか?

今回は世の中のお話しです。

庶民は、公平な世の中を望みますが、果たして公平な世の中って何でしょうか?

誰もが同じ生活ができる世の中でしょうか。
社会主義国家は、誰もが公平な世の中を目指す国家で、個人間に差はありません。
不公平
しかし、誰もがご存知の通り社会主義はそのシステムの欠陥から崩壊しています。
もちろん日本は社会主義国家ではなく資本主義国家。

資本主義は、個人間の格差を認めている考え方です。

さて本題です。
生まれた時から、権利自体は平等です。
これは憲法で保障されています。

「法の下の平等」というやつですね。

確かに、生まれながらにして権利に差が付くのはマズイです。
カースト制度や、有色人種の差別の問題などです。

但し、世の中を生きていく為には「不公平が当たり前」です。

例えば、裕福な家庭に生まれた子供と貧困な家庭に生まれた子供。

生きていく権利は同じですが、親の力量によって子供が受け止めるメリットは大きく差が出ます。

学校教育では同じ教育を受けることができますが、家庭教師、私立学校への進学などは言うまでもなく差が発生します。
大人になっても、裕福な家庭であれば、就職のコネもあるでしょう。

何よりも、裕福な親と貧困な親では思考が全く違います。

ここまで書くと、裕福な家庭に生まれないと子供は著しく不利益を被るかのような気がしてきます。

果たしてそうでしょうか?

世の中には、二代目、三代目と言った人がいます。
この人達は一見、苦労しなくても生きていけるような気がしますよね。

しかし、苦しんでいる二代目、三代目は枚挙に暇がないくらい多いです。
「自分のやりたいことではない」
「自分の代でつぶれたらどうしよう」
「親父の人間関係が辛い」
挙げればキリがありませんが、鳥かごの中の鳥になっている人が多いのです。

貧困な家庭に生まれた子供は、育つ家庭において不公平な環境の中生きていかなければいけませんが、だからこそしがらみに取らわれない生き方ができるのです。

「不公平だからやれる事がある」ということですね。

特に、ビジネスの世界では相手が信用できるかどうか?
その相手の言動によって判断します。
決して学歴や家柄では判断しません。

学歴があると言うのは、その人が学校教育法の勉強ができたかどうかを判断する指標に過ぎないからです。
家柄も本人の努力ではありません。

知らない人と初めてだから会った時に交わす会話。

どこ中?
と聞いてくる人は、地元から離れてたことがない、井の中の蛙的な人間。

どこの大学出身?
と聞いてくるのは、人間の価値=出身大学という価値観を持っている人間。

ある、不動産投資家が集まる会に参加した時は、会う人会う人「何棟持っているんですか?」と聞いてくる。
驚いたのは受け取った名詞に、持っている不動産の棟数が書いてある…

面白くて、笑ってしまいました。
コミュニケーションが苦手な人は、自分の価値観でしかものを話すことができません。

話がずれましたね。
世の中は不公平。だからこそチャンスがあるのです。

筆者は、貧困な家庭に育ちました。
だからこそ自由に育つことができました。
私の決めたことに親は一切、口出ししませんでした。

そういう意味では、親に感謝しています。

世は不公平。
だからこそ、不公平を利用すればうまく行くのです。